今年の秋も、講演や「出前講義」のお声を掛けていただきました。入念な感染対策なども講じてくださり、ご関係各位にあらためて感謝申し上げます。
10月26日は、明治学院大学キリスト教研究所のオンライン講座「アジアキリスト教歴史文化講義」で、「三浦綾子がキリスト教に出逢うまで――若き日の短歌を中心に」という題でお話させていただきました。
残念ながらキリスト教についてはまったく語れませんので、聖書と出合う以前の、堀田(旧姓)綾子の短歌を中心にお話しました。
資料を作りながら、ふと思いつくことがありました。戦後、病と婚約破棄で虚無的な状態にあった綾子は、自分の内面を語る「ことば」を渇望していたのではないか、という仮説です。
自伝的小説の『石ころのうた』でも、こんな場面がありました。小学校の教員である綾子が、高等科の男子生徒で早熟な「N」から、「この頃、時々死にたくなるんです」と打ち明けられます。けれども当時の綾子は、「わたしはNの言葉に、結局は何ともいえなかった」のでした。想いはあっても、語るべき自分の「ことば」を持ち合わせていなかったのでしょう。
また、10人きょうだい(1人は夭折)の中で生まれ育った綾子ですが、親しかった姉(のちに歌人)は読書好きで、すでにみずからを語る「ことば」を持っていたようでした。それに対して、まだ、自分なりの言語の獲得途上だった綾子。そんな綾子が、前川正から聖書を読むことと短歌を作ることを教わり、「ことば」を獲得していったことが、のちの作家活動につながったのではないでしょうか。
「聖書」はまさに、「ことば」の世界。また、短歌は制限のある定型に「ことば」をあてはめていくもの。その2つの「ことば」獲得に導いた前川正は、やはり重要な存在であったこともあらためてうかがえました。
10月29日は、市立札幌藻岩高校での出前講義でした。「小説のヒミツ、おしえます。――「顔」をキーワードに」。さて、内容は? ここでは「ヒミツ」です(笑)。
藻岩高校さんからは毎年のようにお声を掛けていただき、もう6、7年目になっています。高校の授業時間は45分か50分ですが、いきなり80分の講義を「出前」するので、生徒さんも忍耐力が必要。図版を用い、クイズや線を引くなどの手作業も取り入れて、文学の楽しさをお伝えしてきました。
10月31日は、「文字・活字文化の日」講演会として、札幌にある北海道立文学館で、「心を癒す短歌――コロナ禍、天災等を生きる私たちへ、「うた」からのメッセージ」という長いタイトルでお話させていただきました。
古くから、和歌には死者の魂を鎮め、火山を鎮めるような役割もありました。現代短歌でも、天災や人災を歌うなかで“癒し”につながる要素があることを、短歌穴埋めクイズなども楽しみつつお話したところです。
オンライン講演と対面での講演――どちらにもそれぞれプラスの面があり、ウィズ・コロナの来年も、どちらにもお応えできるよう備えていきたいと思います。
※文学の講演や、短歌ワークショップのお問い合わせ・お申し込みは、
北海道立文学館「出前講座」 http://www.h-bungaku.or.jp/event/demae.html
または、三浦綾子記念文学館(メール)へ直接ご連絡ください。
※高校生向けの「出前講義」のお問い合わせ・お申し込みはこちらへ。https://www.hgu.jp/corporate/
田中 綾