文化の秋、講演の秋
秋は、講演や「出前講義」のシーズンです。今年は新型コロナウイルスの心配もあり、残念ながらキャンセルもいくつかありました。そんな中、先月は貴重な場をセッティングしていただけて、嬉しさのあまり、映像にも残してもらいました(ご笑覧ください)。
10月3日、紅葉一歩手前の、北海道十勝管内清水町。「清水町図書館開館30周年」を記念して、短歌創作ワークショップ「ふりがな一つで、短歌は活きる」を担当させていただきました。
とはいえ、え? 短歌に「ふりがな」?? 首をひねる方もいらっしゃるかもしれませんね。短歌の結社によっては、「ふりがな禁止」というところもあるのですが、日本の近代文学史を振り返ると、「ふりがな」は、とても豊かな活字文化の一つでした。
江戸時代、寺子屋などのおかげで、人々の識字率は意外にも高いものでした。漢字は読めなくても、そこに「ふりがな」をふれば、読み聞かせができる状態だったのです。
明治に入ると、人気の落語家・三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠』(明治17年)の速記録なども、すべて総ルビ=ふりがな付き。「陳列(ならべ)て」「必然(さだめし)」など、ちょっと気の利いたふりがな遣いもあり、明治の読者は、漢字とふりがなの両方を味わっていたのでした。
現代短歌でも、漢字とふりがなを活用した、遊び心あふれる作品が発表されています。
・子供とふ粗悪類なき舌の説くオイシイモノなり即席印度風辛味汁(レトルトカレー)
島田修三『東海憑曲集』より
これらの短歌を紹介しながら、受講のかたがたに、「私」「生命」にふりがなをふっていただきました。
ところで、みなさんは「私」にどのようなふりがなをふりますか……?
「あや(名前)」「オレさま」などのほか、「おかあさん」「センセイ」「おっちょこちょい」など、所属や性質をふりがなにしても、「私」を説明できますね。
人生とは、究極、「私」という概念にふりがなをふっていくことではないでしょうか。
人間関係によって「私」のふりがなは変わりますし、もしかすると、明日まったく新しい「私」を発見できるかもしれません。
短歌を通して〈自己発見〉してゆく――そんなワークショップを通じて、私自身も〈発見〉の可能性を実感しているところです。
10月27日には、北海道旭川永嶺高校(初訪問でした)で出前講義を担当させていただきました。テーマはまさに、「読んでみよう、三浦綾子――旭川出身のミリオンセラー作家の魅力――」。
実は、高校生にこのテーマでお話するのは初めてで、舞い上がってしまい、早口になってしまった1時間でした(反省)。『氷点』のあらすじを語ると、生徒さんたちの目がキラリと輝いたのが印象に残っています。”三浦綾子”の存在、関心をもってもらえたでしょうか?
ほか、年明けには、3月16日に労文協リレー講座「『非国民文学論』を上梓して」@北海道自治労会館(札幌市)
などがあります。
正直、お話はうまいほうではなく、どっと笑いを誘うような芸もできないのですが、私自身が〈発見〉して新鮮に感じたことをお伝えしています。今後も、”伝える”努力を重ねてまいりますね。
※文学の講演や、短歌ワークショップのお問い合わせ・お申し込みは、
北海道立文学館「出前講座」 http://www.h-bungaku.or.jp/event/demae.html
または、三浦綾子記念文学館(メール)へ直接ご連絡ください。
※高校生向けの「出前講座」のお問い合わせ・お申し込みはこちらへ。
https://www.hgu.jp/about/highschool-cooperation-program.html
田中 綾