【案内人ブログ№83】(2024年7月) 3.11後~『荒れ地の家族』と『泥流地帯』記:山口眞由美

案内人ブログ

年初め大地震に襲われた能登半島では、その地理的特徴から救助、復旧が困難を極めたと聞きました。数か月を経て生活は可能になっても、被災された方々の心身の傷はさぞ、と察するに余りあります。

3月になり、東日本大震災13年後の特集番組が次々とTV放映されました。その中で、現地の人々の発する「後悔」「後ろめたさ」の言葉が耳に残って、胸が痛みました。

被災された方の手記は何篇か読ませていただいたことはありますが、小説など長い作品は読んだことはありませんでした。しかし、昨年の芥川賞受賞発表で、仙台在住の作家が『荒れ地の家族』という小説で震災後の人々を描いていることを知りました。今回この小説を読み終えた感動のまま、三浦綾子作品を参照しつつ、作品に表れた「被災後」について綴ってみました。

『荒れ地の家族』は宮城県南部太平洋沿岸の町を舞台とする。冒頭、主人公である植木職人が一心に枝を刈る姿が印象的だ。「植木職人」という設定、さては「再生」の象徴かなどと早くも私は勘ぐってしまう。が、そう単純なことではなさそうだ。にしても、熟練した職人技が力強くかつ精緻に描出され、非常に惹きつけられる書き出しだ。ここで主人公祐治は、きつい労働によって敢えて自分の肉体を痛めつけているように感じられた。自ら痛めつけずにいられない、自虐的な心理状態。ここが肝心なのだろう。

仕事を終えて、海岸沿いに出た祐治の前に防潮堤がそびえ立つ。震災後10mもの高さの防潮堤が建設され、それははてしなく続き海を遮っていた。が、今主人公の目の前で海が膨らむ。そして、かの「厄災」の残像が襲ってくる。主人公の中で3.11の記憶は昨日のことのように鮮明に残っているのだろう。ここで思い返せば、13年前私は旭川の職場で激しい揺れを感じてまもなくテレビをつけた。津波が民家やビルを飲み込んでいた。目の前の光景に我が目を疑った。それとともに、なにか既視感もあった。それは『泥流地帯』における大正15年北海道の十勝岳大噴火の描写を彷彿とさせたからだ。三浦綾子作『泥流地帯』を読んだことのある私の友人たちは、異口同音にそう言った。当然泥流(山津波)と海の津波は違う。また綾子自身は実際に泥流を見たわけでもない。にもかかわらず、作品はその真に迫った描写によって読み手に災害を追体験させ、主人公とともに不条理な運命を呪い嘆かせずにはおかなかった。震源地から遠く離れた旭川に住み何の被害も受けなかった私が、震災のことについて言及するのは心苦しい。その頃はまだ三浦文学館のボランティア活動にも参加していなかった。到底東北の方々の心痛を理解できるはずがないが、それ以後改めて『泥流地帯』正編・続編何度も読み返し、被災地に思いを馳せ、自分なりに復興を祈ってきた。

三浦綾子記念文学館で今年4月から始まった特別企画展「三浦綾子文学を照らした三つの光」の中でも『泥流地帯』の資料がいくつか展示されている。今回自分が偶然にもその作業に関わることができたのはまことにありがたいことだと思う。

 『荒れ地の家族』では厄災から10年を経ているが、登場人物たちは皆もがき苦しんでいる。あれから何をやってもうまく行かない人たち。なにもかもが、けっしてもとには戻らない。失った大切な人たち、かけがえのないもの。いとおしい時。それらの幻影が常に離れない。振り放そうと肉体を痛めつけるように働き続ける。作品全編に後悔、喪失感、閉塞感が充満していて、息苦しい。辛い。一方『泥流地帯』では、作品前篇で主人公の貧農一家が苦労を重ねた末ようやく生活が上向きの兆しを見せる。そこへ火山が爆発し、すべて水泡に帰すのだ。肉親も家も田畑も流された。ここまで主人公と喜怒哀楽をともにしてきた読者は主人公とともにどん底へ突き落とされる。こんなにも真摯に働いてきたのに、と。しかし、『荒れ地の家族』と違うのは、主人公の兄拓一が強い意志と目的意識を持って再起しようとしたことだ。だから読む方も救われた。

が、実際はどうだったのか。上富良野現地では、個々の人生に復興の兆しが現れるまでは三者三様であったろうし、何年もの間絶望して過ごした人もいただろう。

前者の著者佐藤厚志氏は昨春芥川賞受賞後、テレビ番組企画で実際に防潮堤の町々を歩いて人々に取材して回った。そこでは、荒れ地となっても土地を愛し、わずかな人たちがそこに残り肩を寄せ合って、生活を立て直そうとしていた。その再生の様相は個々に違い、複雑な事情に阻まれ挫折したり、無念な思いをしたりで、私には『続 泥流地帯』の人々の苦労がそこに重なって見えた。

前者作品では、「誰にでも起こりうる事態」「なんで?」「どうして私なの?」「悪いのは私?」という言葉が繰り返される。

後者でも、主人公耕作によって「何も悪いことをしていないのに」「なぜまじめに生きてきた者がこんなひどい目にあうのか」という疑問が繰り返される。両者の意図するところは少し違うと思うが、突然襲ってくる理不尽な不幸、という点では一致していると思う。ある日突然それまでの生活が一変してしまう。なんという「存在の不確かさ」。それを知ってしまったら、人はその先どうやって生きられるのか。何を信じればよいのか。

道路ができる。橋ができる。人が生活する。それらが一度ひっくり返されたら、元通りになどなりようがなかった。やがてまた足元が揺れて傾くときがくる。……時間は一方向にのみ流れ……絶え間なく興亡しめまぐるしく動き続けている。 

『荒れ地の家族』から

万物流転。すべては徒労に終わるのでは?そう考えたら気の遠くなるような虚無感に襲われ、人は立ちすくんで明日働く気力も何もなくてしまいそうだ。

『泥流地帯』の耕作もまた、泥流で荒れ果てたこの土地を蘇らせるなんて無理だと一度は思った。しかし、彼らは友人たちと力を合わせて前へ踏み出すのだ。

私はこうも思う。万物が流転の中にあるなら、それは絶望である反面、救いにもなり得るのでは……。自然は人から奪い、また与える。

『荒れ地の家族』では会話の多くが土地の方言で語られている。ぽつりぽつりと語るその言葉に人情がにじみ出ていて、読み手はしみじみとした優しい気分にさせられる。土地の人同士を繋ぐ温かいもの。主人公祐治の苦悩の救いはこのへんにもありそうだ。明示してはいないが、作者はこれを祐治の閉塞感の突破口として残したのではないか。一読したとき私はそう思った。『泥流地帯』を再読した後それは確信に近いものに変わった。

「人間は心に懐かしいものを持たなければいけない」

『泥流地帯』の中で耕作はそう語った。『荒れ地の家族』においても、「懐かしいもの」は作品を解く重要な鍵なのではないか。故郷の人々を繋ぐ情愛が、いつの日か主人公の凍りついた心を解かしていってくれるのではないか。そんな期待を抱かせる。

もっとも、私は学生時代を東北で過ごしたのでその地の言葉が母のように懐かしく、多分に主観が入っているかもしれないが。

今年3月能登半島輪島市朝市通りの焼け跡に立つ或る夫婦が、テレビに映し出された。夫妻が自宅跡で思い出になる品が見つからないかと探していたところ、震災直後に亡くなったお母様の大切にしていたヒヤシンスが、根元を少し焦がしながらも見つかったという。女の人の大事なカップは無残にひしゃげて黒焦げだ。しかし、ヒヤシンスは持って帰って植えると、けなげな紫の花を咲かせた。よくぞ熱の中で耐えたものだ。「諦めるなっていうことでしょうかね」男の人は言った。

樹と水に輝ける悠久の自然よ、ふるさとの地に生きる人々に力を与えてください。

被災された方々がどうか光を見失わず、一日も早く落ち着いた日々が過ごせますように、願ってやみません。

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