皆さんこんにちは。三浦文学案内人の泉 清貴です。
私が37年間勤めていた旭川市内の高校の校長先生は綾子さんと女学校の同級生
でした。綾子さんは毎年、全校生徒にいろんなお話をしてくださいました。
私が初めて聞いた綾子さんのお話のテーマは「めぐりあい」。
今日、私は綾子さんのおかげで、皆さんと「めぐりあい」ました。
どうぞよろしくお願いします。
綾子さんの思い出を一つ。
ある時、私は綾子さんに尋ねました。
「体重は何キロですか?」すると綾子さんはニコっと笑って
「私は散々苦労したから39キロ。三浦は始終苦労しているから49キロ」
「好きな食べ物は?」と聞くと、今度はニタっと笑って一言。
何と言ったと思いますか?
その一言は「ヒト。」
好きな食べ物は ひと!?
三浦綾子さんは多くの作品を遺していますがその中から私の一推し(一押し)6作品をご紹介したいと思います。
『太陽は再び没せず』
「新郎は35歳、新婦の私は37歳、ともに初婚」で始まる原稿用紙50枚ほどの短編の手記。光世さんとの出会い、色んな人々とのめぐりあいが語られています。
『塩狩峠』
自分の命を投げ出して乗客の命を救うという実話をもとにした小説。私が初めて読んだ三浦綾子文学の作品で、昭和50年発行の新潮文庫で280円でした。
『海嶺』
世界1周の漂流と航海ならば『海嶺』。決して無駄な後悔はさせません。
※写真の世界地図は私が制作した宝順丸の漂流 岩松(吉)久吉、音吉の帰還経路
『氷点』
主人公の陽子は6歳で亡くなった綾子さんの妹の名前。妹陽子さんは昭和4年6月22日生まれ。私は昭和26年6月22日。陽子さんは22歳年上。ちなみに綾子さんは29歳年上。
『泥流地帯』
大正15年十勝岳大爆発の際に発生した泥流による災害、災難、苦難に立ち向かう人々の姿が描かれています。
『母』
小説家・小林多喜二の母。30歳で警察署内で惨い最期を遂げた多喜二の母。その母セキの深い愛、思い、嘆き、悲しみ、苦しみ、慈しみ、明るさが語られています。
最後に、夫・光世さんはこう述べています。
「綾子の文学は自殺防止の文学。」
「三浦綾子文学は、希望の文学」
By 三浦文学案内人 泉 清貴
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