私は三浦文学案内人の第一期生である。ちなみに第一期生は男性1人、女性4人の計5人であった。私たちは、冬期研修(11月から翌年3月までの延べ10回講座)3年を経た2013年(平成24年)3月25日三浦光世館長から「三浦文学案内人」の委嘱状を拝受した。これを受けて、同年5月1日から順次三浦文学案内人活動(ボランティア)をスタートさせたのであった。 2023年(令和5年)5月1日、三浦文学案内人活動「10年」という大きな節目を迎えた。その翌々月私は、自叙伝「三浦綾子文学案内人を生きる」を自費出版した。7月にこだわったのは、6月13日に三浦綾子記念文学館が開館25周年を迎えたからだ。これに華を添える意味があった。その後、三浦綾子記念文学館では2024年(令和6年)1月、案内人活動10周年を祝う新規イベントが企画され、三浦文学案内人及び三浦綾子記念文学館は共に喜びを分かち合うことができた。 なお、このイベントの企画は三浦綾子記念文学館の熱心な働きかけで、事前・事後に北海道新聞旭川支社の報道があり、私たちは二重の喜びに浸ったのであった。
さて、肝心の自叙伝「三浦綾子文学案内人を生きる」の内容だが、第1章~三浦文学案内人日記、第2章~北海道新聞「読者の声」投稿を顧みて、第3章~北海道新聞「陽だまり」投稿を顧みて、第4章~三浦文学案内人ブログ投稿を顧みて、第5章~エッセイのかけら、第6章~その他、そして最後に資料編という構成であった。A4サイズ、両面印刷、全332ページもの。本館・分館の姿を1枚の写真に収めたものを表紙中央に飾った。
この本が完成し、私は三浦綾子記念文学館難波事務局長に1冊贈呈すると共に、案内人仲間の主力メンバーに「こんなもの作ったよ」と回覧した。反応は今いちであった。その主たる原因は、全文のほぼ半分を占める「第1章~三浦文学案内人日記」にあると推測される。同じようなことが次々と重なり、もう沢山と飽きられてしまったのだろう。つまりは私の不徳の致すところなのだ。そう受け止めるのが賢明であろう。ただ一点、これは何よりも記録(記憶)があって初めて実現したものである。見倣ってほしいなどとは決して思わぬが、私に続く同志が一人でも誕生すれば、それだけで苦労した甲斐があったと思う次第である。本書執筆の動機は、4ページ“はじめに”の項で触れたように、“三浦文学案内人はどう在るべきか”を考える一つのヒントになりたいという強い思いがあった。三浦文学案内人活動は多彩で実に奥が深い。そのことを改めて学んだ自叙伝「三浦綾子文学案内人を生きる」の出版体験であった。
森敏雄、齢77歳。この取組が喜寿最大の働きとなったことを感謝するものである。
by 三浦文学案内人 森敏雄
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