2020年6月27日三浦綾子記念文学館で行われた、菱谷良一氏のオンライン講演会をユーチューブで視聴した。本講演会は無観客で、田中綾館長のインタビュー形式で対談が進められた。特筆すべき点を次に列挙してみよう。
- 我々は名前ではなく、一人ひとり番号で呼ばれた。囚人服や編み笠姿を母親に見られ、恥ずかしくてひどく苦痛に感じた。
- 「赤い帽子の自画像」は、出獄後抗議の意味を込めて一気呵成に書き上げた。アカ呼ばわりされたので、開き直りのつもりで妹の赤い帽子をかぶった。
- 鏡栄氏は、三浦綾子文学『銃口』のあとがきに登場する。「陛下も同じ人間」発言が問題視され、直ちに旭川師範を退学放校処分となった。
- 凍土グループは1993(平成5)年7月大阪の熊田満佐吾夫妻を利尻礼文旅行に招き、花や自然を楽しんでもらった。その2か月後、熊田満佐吾先生は亡くなった。
- 戦後75年。罪なき若者を牢獄にぶち込み、罪人に仕立て上げた。こんな不正・不徳なことは二度とあって欲しくない。
この秋、HBCテレビで「101歳のことば~生活図画事件最後の生き証人~」という番組があった。また、菱谷良一氏の自伝「百年の探求-眞の自由と平和を思考し続けて-」を読了した。これらに共通する主人公菱谷良一氏(102歳)は1921(大正10)年11月14日旭川で生まれた。三浦綾子さんの1年先輩に当たる。菱谷氏は、旭川市立日章尋常高等小学校及び同高等科を経て、1936(昭和11)年4月旭川師範に入学し、即、美術部に入部した。1941(昭和16)年3月卒業目前に停学処分を受け、卒業延期となった。留年後、同年9月20日治安維持法違反で比布警察署に拘置され、特高警部補の威圧的な厳しい取り調べを受ける。捏造された調書に拇印を押してしまった。同年12月31日旭川師範を退学処分となった。1943(昭和18)年11月懲役1年6か月、執行猶予3年の判決が下った。
治安維持法は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された。1925(大正14)年公布-1928(昭和3)年一部改正-1941(昭和16)年全面改正-1945(昭和20)年廃止という波乱な道を辿った。ネットで調べると、宗教団体や学術研究会、芸術団体なども摘発を受けている。1928(昭和3)年には共産主義者1,600人の検挙があったほか、同法廃止までに全国の逮捕者総数は数10万人に達し、1,000人以上が拷問や虐待などで命を落とした。
1940(昭和15)年頃から学校現場が標的とされ、山形県や北海道など全国で140名余が数次に分けて検挙された。生活綴り方教育事件であった。菱谷氏が関係するのは美術教育を巡るもので、旭川の26名が検挙された。生活図画事件であった。ネットによると、ポスター「学生よ労働奉仕せよ」は労働力不足のゆえに反戦思想を啓蒙しているとされたり、稲刈り中腰を伸ばした農婦の姿は、農民解放の階級思想を啓蒙していると見做された。
菱谷氏は1941(昭和16)年9月拘束された。同氏はロシア文学を愛好し、ゴーリキーやツルゲーネフ、トルストイなどの本を読んでいた。“主義者でないとは言わせないぞ”脅迫である。同氏の問題となった絵画「話し合う人々」だって、「謀議」とは言いがかりも甚だしい。捏造、こじつけというものだ。彼はこうして「共産主義者」に仕立て上げられた。1942(昭和17)年12月仮釈放。1年3か月の投獄であった。「生活綴り方教育事件」は全国的規模のもので、壺井栄著『二十四の瞳』にもその断片が登場している。が、何と言っても三浦綾子著『銃口』はその内実を詳しく取り上げている。一方、「生活図画事件」は旭川師範及び旭川中学の教師並びに教え子に限られていることに注目しなければならない。熊田満佐吾氏はリアリズムの重要性を説き、上野成之氏は大凶作による現実注視をアピールした。全国に飛び火しなかったのは、捏造のねたに限界があったということだろう。余談だが、熊田氏の妻と上野氏の妻は実の姉妹だという。
菱谷氏の年譜によると、同氏は2015年から5年連続で治安維持法犠牲者への国家賠償法制定を求める国会請願に上京している。2021年はビデオで参加し、2022年は再び上京している。熱い信念は決して揺らぐことはない。ネットによると、「共謀罪」審議中の2017(平成29)年6月、国会で金田勝年法相(当時)は治安維持法について、「適法に制定され、刑の執行も適法」と答弁している。謝罪は不要という見解だろう。だが、この治安維持法はGHQから廃止を指示された。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の役員である宮田汎氏は元高校教師である。宮田氏は五十嵐久弥氏にアドバイスされて、治安維持法適用の道内第1号となった(道北)「集産党事件」を追跡していた。1996年頃宮田氏は菱谷氏と初めて会った。各種の集会で顔馴染となったのであろう。菱谷氏の人柄やユーモラスな語りに魅せられ、宮田氏は「生活図画事件」の掘り起こしにも一役買った。昨年11月19日北海道弁護士会連合会主催で「北海道における治安維持法の被害を知る」シンポジウムがあり、ここで私は宮田汎氏を知った。道新記者佐竹直子氏も登壇していた。菱谷氏はビデオ出演であった。国会請願だが、治安維持法犠牲者は今や北海道では菱谷氏ただ一人となっており、要求の実現が強く求められている。
菱谷氏の自伝の中に母ナカさんの日記が出てくる。1944(昭和19)年6月東京にいる三男其三郎が盲腸で入院したので初めて上京した。その時、札幌駅で出征中の長男良一氏とばったり遭遇。神様のお引き合わせ(?)。感動的なシーンであったことが伝わってきた。また、第4部には「画くこと、語ること、そして未来への伝言」という章がある。
「生活図画事件獄中記」出版や治安維持法犠牲者への国家賠償を求めた国会請願、「(松本五郎・菱谷良一)無二の親友展」、「菱谷良一百歳記念作品展」、支援者との幅広い交流、国会請願スピーチ原稿などが登載されている。見事な生き様であった。菱谷氏は間もなく103歳の誕生日を迎える。極めて元気だ。老いてはますます壮(さかん)なるべし。余生を大いに楽しんでもらいたいと思う。
By 三浦文学案内人 森敏雄
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