前川正は、綾子さんの2歳年上であり、小学校2年の時に家の近くに引越してきた幼なじみでもあり、旭川の名門である旭川中学(今の旭川東高校)に一番で入学した秀才だった。二人とも結核を病んでいたことがきっかけで再会することになった時、彼は北大医学部の医学生だった。
今回私が書こうとしているのは、そのことではなく、昭和26年、綾子さんが旭川日赤病院へ入院した時のことである。
前川正は綾子さんを毎日のように見舞っていた。彼の家から2.5kmほども離れた日赤病院へ自転車でである。綾子さんの入院した日赤病院は、8人の大部屋であった。全員女性であったその部屋に、一人の自殺未遂をした女子高生がいた。同じような体験をした綾子さんは、その理恵という娘に何かと目をかけてやるようになった。クリスマスが近づいていたある日、綾子さんは理恵に本気になって生きてもらおうと思い、同部屋の皆に「クリスマスの日に牧師さんをお迎えしてキリストのお話を聞くの」と提案してみた。
キリスト教の話など堅苦しくていやだと言われるのかと思っていたら、意外にも同部屋のみんなは賛同してくれた。その原因は前川正にあったのである。
前川正は綾子さんを毎日のように見舞い、それができない時は手紙を送った。「それだけでじゅうぶんに、療友たちは彼の真実に打たれていた」と綾子さんは書く。
主婦が病気になって一年もたつと、たいていは離婚話が起き、そのことで女たちはどんなに泣いてきたかわからない。たとえ離婚までの話にならなくても、夫が妻を見舞うことなど、ほとんどなくなる。
『道ありき』二六
恋人たちにしても同じである。その部屋には、病気になったばかりに、恋人に捨てられた女性が二人いた。だから、この真実な前川正の姿は、彼女たちにとって希望を抱かせてくれる大きな存在でもあったのである。
男としても身につまされる思いがするが、その後で、綾子さんはこう書くのだ。
世には不実な男ばかりではない。自分にもいつかあんな人が現れるかもしれない。
『道ありき』二六
前川正は、結核をなおすのに胸郭成形の手術を受ける決心をし、一時的に持ち直したかにみえて、結局は亡くなった。その死を知らされた時の自らの無念さと情けなさを吐露する、綾子さんの筆致はただごとではない。
突如として、激しい怒りが噴き上げてきた。そうだ、それは正しく悲しみというより怒りであった。前川正ほどに、誠実に生き通した青年がまたとあろうか。この誠実な彼の若い生命を奪い去った者への、とめどない怒りがわたしを襲った。
(中略)
堰を切った涙は、容易にとまらなかった。仰臥したままの姿勢で泣いているので、涙は耳に流れ、耳のうしろの髪をぬらした。ギプスベッドに縛られているわたしには、身もだえして泣くということすら許されなかった。悲しみのあまり、歩き回ることもできなかった。ただ顔を天井に向けたまま泣くだけであった。
『道ありき』四二
それから一年が経った。
綾子さんの母上が「三浦さんという方がお見えになっていますよ」と言いに来た時、綾子さんは三浦光世が死刑囚の人達と文通をし、慰め続けていることを知らなかった。当時、綾子さんと光世さんは「いちじく」という交流誌を愛読し、お便りなどを投稿していた。
光世さんは死刑囚の消息を多く投稿していたので、綾子さんは光世さんを死刑囚だと誤解していた。光世さんは死刑囚の方から「いちじく」を知り、バックナンバーを取り寄せて自分もまた投稿するようになったのである。
また、「いちじく」を作っていた札幌の菅原豊氏は、光世さんが綾子さんのことを気遣うお便りを寄せた時に、光世さんを女性と早合点して、綾子さんを見舞うように手紙で勧めた。この偶然が重なり、二人は出会うことになるのである。
光世さんは亡くなった前川さんによく似ていた。だが、けっして、綾子さんは光世さんを前川さんの代わりとして見ていた訳ではなかったのは、確かである。そのことは綾子さんをして、慎重にさせた。
しかし、光世さんは綾子さんにこう言ったのである。
「あなたが正さんのことを忘れないということが大事なのです。あの人のことを忘れてはいけません。あなたはあの人に導かれてクリスチャンになったのです。わたしたちは前川さんによって結ばれたのです」
『道ありき』五二
文学館の第1展示室に私が勝手に「一本の樹にたたずむ二人」と名付けている写真がある。一本の樹の前に綾子さんと光世さんの二人が立っている。光世さんは手前に立っていて、「綾子さんにああいう風に言いはしたけれど、果して自分に正さんの代わりができるのだろうか」と言っているかのように、いささか緊張気味の表情をしている。対して、綾子さんの方の表情はどうかというと、まるで憑きものが落ちてしまったかのように、満面の笑みをたたえているのである。その笑顔は、結核・カリエスの長期療養と日本の敗戦に始まった精神の放浪の両方の終わりを告げるものであった。彼女はあんなにも探し、追い求めてきた希望のひかりを、遂に掌中にしたのである。
by 三浦文学案内人 三浦隆一